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糖尿病と人生中島内科クリニック|横須賀市横須賀中央駅

糖尿病と人生

今日からシリーズ「糖尿病と人生」と題して、中島先生が先日ロータリークラブでお話した内容をアップしていきたいと思います。

標題を‘糖尿病と人生’としたのは、一つには‘糖尿病は人生だ’というのが私の持論でありまして、そして私の仕事が糖尿病メインのクリニックをやっていることと、私のこれまでのつたない人生を述べさせていただくためにこの標題とさせて頂きました。

まず、仕事の方ですが、クリニックは共済病院の入り口にあります。この写真は一昨日トーホーサウナ入口から撮ってもらったものです。2Fは診療室で3Fはホールになっております。

3Fでは糖尿病患者さんのための食事療法としてお料理教室や,運動療法のためのフラダンス。

そして今年1月には先日卓話していただいた吉田市長さんもいらして、餅つき大会をしました。春には観音崎公園に運動療法のためのハイキングにも行きました。クリニックの宣伝はこのくらいにいたしまして、次に私の人生を語らせていただきます。
糖尿病と人生

生まれは昭和23年1月8日。東京都門前仲町の疎開先の臨海小学校で生まれたそうです。父は真面目な警察官で、母は小学校の先生という堅い家に生まれました。その反動で今は柔らかくなりすぎております。2歳の時世田谷の千歳船橋に引っ越しまして高校時代まで住んでおりました。小学校は桜ヶ丘小学校で体育のみ好きな劣等生で、その頃の世田谷は田んぼだらけで、ドジョウやザリガニとりの日々でした。

これは小学校の時の遠足の写真で江の島です。どうも隣の女の子を見てるのが自分ではないかと思われます。この頃から女性好きは始まっているようです。

中学校は劣等生でしたので世田谷工業高校付属中学に入りました。
ここで人生最初の転機が訪れました。それは所属していたハンドボール部の中学生を、関東ハンドボール大会に出場していた菊花学園の女子部員と顧問の先生が練習試合をさせてくれました。男子校にいて家族にも女性はお袋しか知らない私にとって、大興奮でありました。この不純な感動が私の第一回目の人生の目標を決めました。
それは‘ハンドボールでオリンピックに出場すること’でした。不純な動機でしたが純粋にオリンピックを目指した少年時代でした。

そして高校時代はハンドボールが強い、早慶に入るために今は経営不振の代々木ゼミナールに通うがり勉君となりました。

結局お金がなくて月謝の安い、年間9800円という国立の東京教育大学理学部に行くことになりました。ところが教育大学は今の筑波大学ですが、体育学部があり、とても強く、インターカレッジでも立教大学に次いで全国第2位という強さでとてもついて行けず、人生最初の挫折となりました。

そして人生の目標を失い、しかも大学紛争真っ只中で大学は1年半ロックアウトで休みとなり、沖縄放浪、水商売等野獣生活をして次の人生目標を探しました。結果はとりあえず理学部に入ったのだからと、それをやれるだけやってみようという事になり、放射化学という原子力関係の分野で理学博士まで取得しました。

しかし、私はどうも物より人が好きという性格を考え、29歳で横浜市立大学医学部に入学し、人生第2の分岐点を迎えました。

医学部時代は、教養科目は2回目なので授業免除という事と女性へのあこがれが消えず、女性と組めるダンス部に入りました。毎日5時間の練習に明け暮れ、学生チャンピオンまでになりました。そしてそのまま、パートナーと結婚しました。

その頃の写真がこれですが、こんなに初々しかった少女がどうして今の恐ろしい女房に変身したかはいまだに謎です。しかし実はダンスというのは喧嘩が絶えません。そこでケンカしているときは、体力づくりのため一人で出来るマラソンに励んでいました。


この写真は郷ひろみの三番前でゴールした私の写真です。マラソンはフルマラソンはサブスリー一歩手前の3時間30秒。100㎞マラソンも9時間半というかなりいいタイムで走っていました。
結局合計17年間、学費を家庭教師等のアルバイトで稼ぎながら大学生活を満喫いたしました。

そして35歳で初めて社会人となりました。その後は奨学金を東京都からもらっていた関係で都立広尾病院で研修。藤沢市民病院消化器内科に約10年間。その間運動好きが高じて運動療法のある糖尿病科に移り、横浜市大病院4年。横浜共済病院で4年。そして11年前に中島内科を開業しました。

こう見ると順調な道を通ってきたようですが、実は病院が変わるごとに事件がありました。例えば共済病院では午前中に糖尿病患者さんを100人診て、午後は入院患者、夜は呼び出しというハードな生活でストレスのため、めまいやうつ状態となり、このままでは死ぬと遺書まで書きました。
開業してストレスが軽減しました。そこで現在は共済病院等の大病院に患者さんがたまり過ぎないよう、診療所間の連携を目指して活動しています。

あとは、いまだに人生目標探しのお遍路を三年前から始め、6月に八十八か所を結願出来ました。これに関してはロータリーの先輩、五十嵐先生に大変お世話になりました。

という事で人にはそれぞれ人生があり、この人生を無視した医療はむなしいと思い、糖尿病を人生ととらえて診療に当たっています。